チロルチョコ ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE By Nttコムウェア
西日本で育った中年層には懐かしい初代チロルチョコ。現行商品よりヌガーが少し固かった。 |
今の一粒チロルとは異なり、3つ山だった初代チロルチョコ。子供が充分に満足できる量だった。 |
1989(平成元)年に新工場が完成した福岡県田川市にある松尾製菓工場。 リスボン滝ソーセージ |
「10円あったらチロルチョコ♪ チロルチロ〜ルチョコレート♪」
小学校低学年の頃、このメロディを口ずさみながら、よく近所の駄菓子屋へ走って行った。手の中には汗ばんだ10円玉が1個。たまに20円、30円持っていた時など、チロルチョコを複数買うか、それともガムを一緒に買うかで随分悩んだものだ。
こんな経験があるのは、西日本で育った40歳以上の中年層だけかもしれない。時代は経済の高度成長が始まって間もない1960年代。近所の駄菓子屋やパン屋(駄菓子屋を兼ねていた)で買うお菓子は、子供たちにとって大きな楽しみのひとつだった。問題は、少ないお小遣いでどんなお菓子を買うか。できれば、甘くて美味しいチョコレートが欲しい。でも、親にねだってもらえるお小遣いはせいぜい10円、20円といったところ。10円で買えるチョコレートはチロルチョコしかなかった。
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「チロルチョコってそんなに昔からあるの?」と思われた読者は、おそらくコンビニ世代だろう。今のチロルチョコは一粒チョコだが、昔はそうじゃなかった。一粒チョコを3つ連ねた、3つ山の形をしていたのである。作ったのは、福岡県田川市でキャラメルやキャンディーなどを製造していた松尾製菓株式会社。2代目の松尾喜宣(よしのり)社長が「子供がお小遣いで買えるチョコレートを作ろう」と思い付き、ゼロから開発した商品だった。背景には、当時のチョコレートがまだ高級品だったという事実がある。一般的な板チョコの値段は50円で、製品自体もほとんどが大人を想定して作られていた。また松尾製菓は戦後間もない頃、貧しい子供たちにもお菓子を食べさせるべく、キャラメルのバラ売りを成功させた実績があっ� �。今度はチョコレートで子供たちを喜ばせようと考えたのである。
"チョコレートのカールを作る方法"
値段は最初から10円に決めていた。問題はチョコレートそのものをどう作るか。形は子供が食べやすいよう3つ山にする。容量も20gほどは欲しい。だが、全部チョコレートで作ると原価が10円を超えてしまう。結局、中にチョコレートに代わるものを入れることにし、試行錯誤を繰り返した結果、最もチョコレートとのバランスが良いヌガー(砂糖と水飴で作ったキャンディ)を入れることにした。
中身の次は商品名とパッケージ。当時、お菓子や乳製品にヨーロッパのイメージを採り入れることが流行していた。アルプスの麓にあるオーストリアのチロル地方は、美しく雄大な大自然と澄み切った新鮮な空気、そして村々に暮らす素朴な人々が最大の魅力。そんな爽やかなイメージのお菓子にしたいということで、商品名は「チロルチョコ」に決まった。パッケージには高級感を演出する金色を使い、商品名に合わせてチロリアンハットをデザイン。ここに、子供向けではあるが、とても10円とは思えない完成度の高いチョコレートが完成した。
1962(昭和37)年、初代チロルチョコは主に西日本の駄菓子屋で発売された。東日本ではほとんど出回らなかったが、これは販路が未開拓だったためだ。
初代チロルチョコは発売後からコンスタントに売れた。年端のいかない子供にとっては、チロルチョコの登場は確かに衝撃的な出来事だった。何しろ、憧れのチョコレートが自分のお小遣いで買えるのである。しかもチロルチョコは中にヌガーが入っているので、そこそこ食べ応えがあった。食べ盛りの子供にとって、これほど理想的なお菓子は他になかったといっていい。
だが、子供たちに厚く支持されたチロルチョコにも、試練の時がやって来る。
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